会員有志から、おススメ本をおひとりにつき月に1冊だけ、推薦コメントを頂き、会員有志に推薦コメントを読んでいただいて「自分はこれを読みたい」と思われた本に、投票していただく企画、第4回です。
今月のご投稿は5本でした。
では、結果発表と参ります~♪
面白そう♪と思われた皆さま、ぜひ手に取ってみてくださいませ。
第1位 『ニワトリと卵と、息子の思春期』(繁延あづさ/婦人之友社)推薦者:吉村弥恵さん
本書はタイトル通り、思春期を迎えた息子がニワトリを飼う日々を綴ったノンフィクションだ。しかし最後の一文を読んだとき、登場する家族に予め用意された物語のように思えた。
東京から長崎に移住し、自然豊かな土地で子育てをする筆者には、夫と三人の子供がいる。
ある朝に放たれた、六年生の長男の「お母さんが何と言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!」という宣言が、ニワトリをめぐる家族の物語の始まりだった。
「お母さんがなんと言おうと」ここが長男の反抗のキモである。ゲーム機は金で買える。子どもであろうと、コツコツ貯めた小遣いさえあれば簡単に手に入る。でも反抗の朝まで、彼にとってその行為は「親の許可を得ること」とセットだったのだ。
筆者の親としての立場が揺らいだ瞬間でもあった。
ところが帰ってきた長男は言う。
「ゲーム買うのやめるからさ、代わりにニワトリ飼わせて」
なんでそうなるのだ(経緯はぜひお読みください)。
そこから長男は、「ニワトリ飼育計画書」を作成し、飼育環境を整えるべく近所の人々を懐柔し、ひよこを得て、飼育、採卵、卵の販売と、図太く賢く、すこぶる身勝手に成長していく。その反面で「どう親であり続ければよいのか」と思い悩む筆者の葛藤が、実に身近に感じられる。とあることで謝らない長男を屈服させたくて、「謝らないなら、お小遣いあげない!」と言うシーンは身につまされた。
優位を利用して、全く関係ないことを取引材料に使う。親子どちらの立場でも、経験ある方は多いのではないだろうか。
飼っているニワトリはペットではない。最初から「経済動物」であり、いつかは屠って食べることが目的である。少なくとも長男にとってはそうだ。でも、弟、こと幼い妹には、別の風景として見えていて、写真家でもある筆者のカメラがそれを捉える。それがなんとも愛おしく、この本の魅力の一つだった。
第2位 『マキャヴェッリ語録』(塩野七生/新潮社)推薦者:尼野ゆたかさん
マキャベリの著作は色々訳されてますが、当時の情勢を踏まえて書かれているので、
「このメディチさんはどのメディチさんだ……」みたいになって中々大変です。
そこでお薦めなのがこちら。
流石の塩野七生さん、読みやすくマキャベリの理論のエッセンスが味わえます。
「人間には、怖れている者よりも愛している者のほうを、
容赦なく傷つけるという性向があるからだ」
「謙譲の美徳をもってすれば相手の尊大さに勝てると信ずる者は、
誤りを犯すはめにおちいる」
「人間というものは、必要に迫られなければ善を行わないようにできている」
など「マキャベリズム」のイメージ通りな文章が山盛り出てくる一方で、
「市民には、なんのおそれもなく告発権を行使できる体制を、整えてやる必要があるのだ」
「誰からの制約も受けない権力の存在は、それがいかに聖人の手にゆだねられていようと、
国家の利益になることはない」
といった感じで、実に正道の政道(押韻)を説いていたり、
「大国の指導者たちとなると、一致団結することからしてまずむずかしい。
またたとえそれを実現できたとしても、団結を維持しつづけるのが、これまたひどくむずかしい」
「長期にわたって支配下におかれ、その下で生きるのに慣れてしまった人民は、
なにかの偶然でころがりこんできた自由を手にしても、それを活用することができない。
活用する術を知らないのだ」
など現代にも通用する鋭い洞察も。
(女性の位置づけが前時代的ですので、そこは注意が必要です)
僕が好きなのは、
「今日きみが享受している、恋することによって得る喜びは、
明日になればもう受けられないものなのだよ。
それを受けているきみは、わたしにすればイギリスの王よりもうらやましい」
でしょうか。天下国家の話を離れた、人間マキャベリの姿が垣間見えます。
更に興味が出た方は、光文社古典新訳文庫の「君主論」を。
そのメディチさんがどのメディチさんかなど、脚注も充実してます。
第3位 『ぼく』(作:谷川俊太郎 絵:合田里美/岩崎書店)推薦者:オガワメイさん
この絵本は自死をテーマにしています。
谷川俊太郎さんがテキストを、イラストレーターの合田里美さんが絵をかいています。
絵本で自死を扱うということには、賛否両論ありそうですが、この絵本で描かれている『ぼく』は、決して孤独ではなく、ほかの子と一緒に遊んだり、おにぎりを食べておいしいと感じたり、将来のことだってちょっと考えたりしているようです。
どこにでもいそうな普通の子で、とても自死を考えているようには見えません。
では、なぜ『ぼく』は死を選んだのか。
『ぼく』は、遠い世界の知らない人ではなく、もしかしたら、すぐそばにいるだれかかもしれません。身近な問題として『死』を考えること。そして、『死』を通して『生』に気づくこと。
二年間にわたり何度も書き直しを行い、丁寧につくられた絵本。
『死』について、そして『生』について立ち止まって考えるきっかけになるかもしれません。