Zoomに入ったときは、もう場が温まっていた。福田さんは「和代ちゃん」と呼ばれて、リラックスされている。ちなみに、京極夏彦さんは「京ちゃん」、宮部みゆきさんは「みゆきちゃん」でお名前が登場した。
著書『恐怖の構造』で語られる、平山さんご自身のエピソードがあんまりにもあんまりで(妹の人形の顔を焼いてうつぶせに置き、妹が驚く様を観察するとか)恐々参加した今回。予想通りのピーでR指定なワード&エピソードを連発しつつ、名言が次々と繰り出される。ピーでR指定は、どこまで書いてよいのかさっぱりわからないので、ご興味ある方はアーカイブをご覧いただきたい。
名言は数あれど、「存在している悪は見せないと、善に対する検証ができない」を取り上げる。
質問タイムで、私の中学生の息子が「デブが痩せる話」だと思い込んで『デブを捨てに』を読み、ラストに涙して続きを切望した話をさせてもらった。お気遣い溢れる平山さんの返事を息子に伝えたところ、「ふーん」の後に「もし続きがあるなら、デブ、痩せなくていいよ」と返ってきた。本を読む前まで、彼には「デブ」は悪で「痩せる」は善という、ごく単純な認識があったのだ。しかし、より強力な悪や理不尽を突きつけられて、読み終わる頃には、その認識は叩き潰された。どうでもよくなったのかもしれない。そして、デブのまんまの彼女の人生を肯定したのだろう。親にも先生にもできないことを、物語は易々とやってのける。後半でフィクションの存在価値の話になったのだけれど、間違いなく、これがフィクションの効用のひとつだ。
また、創作をする上で、東日本大震災は転機だったそうだ。現実の凄惨さが、ごりごりに怖い作風を変化させた。コロナ禍も、創作に影響を与えたと語られる。ステイホーム中は、1日3話ずつツイッターで小話をアップされた。「気になってた鼻毛が抜けた」くらいの気分転換になるようにと。
ご自身をポンコツだトラッシュだと評し、ギョッとするエピソードを散りばめながら、平山さんは、ここぞというときに優しい。そりゃ熱狂的ファンが生まれるわけで、デジタル・ケイブのイベントが、ファンミーティング化するという場面に出くわす。なんとも尊いワンシーンだった。
とにもかくにも、ここには書けない話が満載なので、お時間合わなかった会員さんは、くれぐれもアーカイブ視聴をお忘れなく!
(Y.Y)