タイトル:雲州下屋敷の幽霊(単行本時タイトル「奇説無惨絵条々」)
著者:谷津矢車
出版社:文藝春秋
明治になって二十余年の東京。一人の絵師に古本屋の亭主が「戯作」を一冊ずつ読ませるという形で綴られる連作短編集です。
テーマとして取り上げられるのが、演劇改良運動。学者の主導で学術的に正しい歌舞伎を作り、とてもつまらないものになったという話なのですが、
この史実をすくい上げることにより、谷津さんは「史実と違う」の一言で物語の価値を全て切り捨てる風潮に異を唱えます。
古本屋の亭主の「物語と歴史ってのは、案外区別がつきにくいものなのさ。だが、学者の先生や政府のお歴々は、単純に物語と事実を切り分けることができるって思ってる。で、事実を並べるだけで面白い戯作になると信じているんだから笑い草だよ」という台詞には、「解釈は人それぞれ」なんていう逃げ道を自ら潰す気迫が滲みます。
小説の出来はというと、読めば分かりますが素晴らしい。きっちり歴史に取材し、そこにイマジネーションを加え、見事なフィクションを描き出されています。
これはもう本当に、横っ面をはたかれた思いでした。小説家は、小説で語れる。
史実云々を口にする学者さんの姿は実際拝見します。
この小説はその顔面に手袋を音速でぶち当てるような一作で、
それを谷津さんのような名のある作家が発表されたのですから騒然となってもおかしくないのですが、先方からの反応は一向にないそうです。おやおや。
ちなみに演劇改良運動は時の政府の意向を受けたものでもあるのですが、それに対しても谷津さんは、
「声なき声を拾い上げ、ときには弱き者の子守唄に、ときには弱き者の道を切り拓く鉈に、ときには弱き者の足元を照らす灯りになるものなんだ」
と高らかに宣言しています。はたかれるどころか往復ビンタを食らって僕は顔面がぱんぱんですが、「あたしたち何かを作る人間は、恥も外聞も関係ねえ。手前の七転八倒すらもネタにして、前に進むもんだろうからよ」と叱咤も受けておりますので、頑張ろうと思います……。